僕は屑だな
さっき母親と喧嘩したんだ
喧嘩と言っても僕が一方的に怒っただけなんだけど
僕の障害年金は母親が全部管理してて、もう自立するからその振込先を僕の口座に変えるように1ヶ月以上前からお願いしてたんだよ
でも未だにできてなくて、12月の頭には東京に行きたいからって伝えてたんだけど、それにも間に合わなそうみたいな話をされて頭にきたんだ
そもそもこう言っちゃなんだけど僕のお金だし、ずっと自分で管理したいと思ってて、そういう話もしたことがあるんだけど流されて
欲しい物があっても親に言ってお金をもらわないといけないから大体のものは買わずに諦めて
そういうことが僕の中で積み重なっててついカッとなってしまった
僕は頼み事は断れないし、嫌なことがあっても何も言わずに我慢する方で、そうして溜まった不満がついに耐えられる量を超えると、自分でもおかしいと思うくらい、いきなり癇癪を起こすんだ
僕は金にがめつい人間なのか、母親が謝ってくるのを見てそう思ったよ
もう金なんていらねーから全部持ってけよ、次更新は4年後らしいけどその間の分お前にやるよ
僕はクズなんだよ
この小心者が人の顔色伺わず、クズなりにもっとクズらしく振る舞ってたら人生も少しは楽だったろうな
母親のことをどう思っていいのか分からない
僕の母親はたぶん発達障害で、とにかく片付けというものが出来ない人だった
子供の頃から家はゴミ屋敷で床は見えない有様だった
そのうえ僕が掃除をしようとすると、「お前は何でもかんでも捨てるから駄目だ、掃除するな」と逆に怒られる始末で
ならこれはいつ何に使うのだ?と問い詰めても「いつか使うかもしれない」とか「お前の金で買ったものじゃない」と未だに使わずどこかに埋もれてるゴミを後生大事にするのだった
僕はそんな家が恥ずかしかったし、きれいな家に住んで友達を呼ぶのがちょっとした夢だった
中学生のある日漫画を読んでいたら、僕と同じような家庭環境の登場人物が出てきて、その人物の家はまさに僕の家のようなゴミ屋敷だった
フィクションでは、ゴミ屋敷と称してただ散らかっているだけの部屋がよく出てくるので、この再現度の高い描写を見て、おお、僕んちと同じじゃんと親近感を持って嬉しい気持ちになった
しかし、物語は対照的に鬱屈とした、深刻な雰囲気で進んでいった
「ネグレクト」とか「家庭崩壊」とか知ってはいたけど他人事だと思ってた単語が、僕とそっくりの家に突きつけられるのを見て、自分の家も傍から見たら異常なのかなと、えも言われぬ気持ちになった
大きくなるにつれて、何が普通か知るようになって、普通になりたいと思うようになって、それをさせない母親に対して苛立ち憎むようになった
自分でも色々やってみたけど、結局何もできなくて、普通になれないんだって諦めて
それからずいぶん経って、ようやくこの嫌いな家を出ていくことにしたんだけど、母親に対してどう思っていいのか分からない
憎んでいる部分もあるし、申し訳ない気持ちもあるし、同情してるところもある
あまり人の目は見たくないから、家族の顔も見ずに喋ってたんだけど、最近久々に母親の顔を見た。ずいぶん老けたなと思った
東京に行くんだと言ったら、残念だとは言ったけどあっさり受け入れた
残念なのは、ご飯は毎日僕が作ってて、僕の障害年金のうち月4万は家に入れてたからなのだろう
今まで養ってもらっておいて、捨てて出て行くなんて僕はひどい人間なのだろうか
別に誰かに不幸になって欲しいわけじゃないんだよ
深夜に散歩してる
最近深夜に散歩を始めた
全然歩いてないから5kmくらい歩いただけで足が痛くなる
少し走ってみたら走り方を忘れてた
何年ぶりすらかも分からないけど、走るってこんなに体に衝撃がくるもんなんだな
こんなんで仕事なんて出来ないから筋トレと散歩頑張らなきゃ
帰りにコンビニよって買い物したりもしてる
特に買いたいものなんかないけど、暴露療法だと思ってやってる
案外普通にできて、何だ僕もまともに振る舞えるじゃんって少し安心した
失敗といえば一回袋と箸をつけ忘れられたんだけど何も言えなくてそのまま蕎麦とおにぎりを手で持って帰ったことくらい
だめな自分を責め立てるなんてアホなことしたよ
自分がだめな人間なんて分かってたのに、あれもこれも要求してなんでこんなこともできないのかなんて
失敗して嘲られたり叱責されたら、2chで愚痴ったり傷でも舐め合えばいいものを自分までそれに加わって
どうせできないからいっそのことやらないとか言って何も成長できずに
当時は分かってなかったけど、つらかったな
ずっと死にたいんだがどうなってんだこれ
またいつもみたいに数日たてばすぐ治るだろうと思ってたけど、一生死にたい気持ちのままだよ
ゲームやったけど悲しい気分になったし、Youtube 見ても素直に笑えない
出てる人と自分を比べてしまうね
この先ずっとこんな感じなのかな
モバイルバッテリー買った
体力なさすぎるから筋トレとか散歩とかしないと
醜形恐怖症は強迫性障害
僕は子供の頃から強迫症的な気質があって今ままで何度か実際に強迫性障害になったことがある
最も酷かった症状は、「言葉の意味を説明できなければならない」というものだった
例えば、「強迫」という言葉を見たら頭の中で「ある行動をとるよう迫ったり、ある考えを押し付け支配すること」などといちいち説明するのだ
これには明確なきっかけがある。10代の頃、ドストエフスキーなどの海外の古典をよく読んでいて、難しい単語が出てきたら意味を調べて、ノートに書き出していた
ところが段々、この単語の意味を僕は本当に理解しているのだろうか?この単語も調べないといけないのではないか?という疑念が出てきて、確認するために頭の中で単語を説明するようになった
意味は分かっていたとしても、うまく説明できないと「自分は分かっていない」という恐怖心にかられ、辞書を引いたりしてなんとか言葉で説明できるまで必死に考えた
困ったことに、こういう「意味は分かるけど説明するのは難しい」言葉はたくさんあり、このせいで半日潰れることもあった
僕が恐らく一番悩んだのは「基本的」という言葉で、広く使われているけど説明するのはとても難しい
そんな折、2chに言語学を専攻する大学生がスレを立てていたので、僕は自分がうまく説明できずに悩んでいる言葉の意味を聞いてみた
具体的には「この単語はこういう使われ方をしているのだけれど、この文脈上、辞書に書いているどの定義でもうまく説明つかない。だからこの使い方は間違っているのではないか?」というものだった
これに対し彼は「いやそれは正しい、何故なら僕は日本人で日本語を話す者としてそう思うから。辞書の定義はどうでもいい」と答えた
僕は驚いた。言語学を専攻している人ならば、僕が納得できるような説明をしてくれるはずだと期待していたのに、彼は「俺がそう思うんだからそれでいいじゃん」と言ったのだ
納得しきれない僕に続けて「言葉というのは曖昧なもので、時代が変わると意味が変わることさえあるんだよ。辞書に書いてあることが全てじゃない」と言った
僕はこの「言葉というのは曖昧なもの」という考えに救われた。必死に目に映る単語を全て定義してきた僕は「あっ、言葉って曖昧でいいんだ」とそこで初めて気付いた
その後も強迫性障害になりかけたことはあったけど、その度に「曖昧でいい」と頭の中で繰り返すことで深刻な症状が出る前に治まった
僕はここ数日、醜形恐怖症の症状がひどくて、自分の顔を考える以外何も出来ずにいた
怖くて今までしていなかったのだが、何か変えたくて、ネットで醜形恐怖症と調べてみた
すると精神科医の先生が最近は醜形恐怖症は強迫性障害の一種であると考えられていると言っている動画を見つけた
ずっとそうなんじゃないかって感じていたけど医学的にもそうらしい
5chのメンタルヘルス板の醜形恐怖症スレを開けば、たくさんの人が自分の症状を書き込んでいた
僕はそれにすごく共感すると共に、30代になっても醜形恐怖症が治らずに顔がどうこういってる人を見て、このままじゃ嫌だと思った
こんなくだらないことで悩み続けてたまるかよ
強迫性障害なら治したことがある。曖昧でいいんだ
僕はずっと自分の顔が普通か異常か必死に定義したがっていたんだ
「大丈夫、変じゃない」と思えば「いやここがおかしい、異常だ」と不安になって
もうどうでもいいよ、答えは出さない。曖昧でいい
外に出て働きだしたら考え方も変わるのかな
僕は引きこもりで全然外に出ないんだけど、5chで今世の中で流行ってる物事なんかの情報も手に入るから世界から隔絶されてるとは感じてなくて
正直、自分が引きこもりって自覚は殆どない。ネットで引きこもりのニュースとか見ても他人事みたいに思ってる
だけど久々に外に出ると、世界がすごく荒々しく感じて、僕って引きこもりだったんだなって気付く
歩いても全然壁に当たらないし、ゲームの画面よりずっとリアルだし
僕が部屋でした繊細な悩み事も、轟音をたてて走るトラックの風を浴びると「ほんとバカみたいなことで悩んでたんだな」って思う
ドア一枚、壁一枚隔ててるだけなのにこんなにも違うんだな
僕はすごい挙動不審なのに、みんな当たり前のように生きていて
僕は何を買うか必ず事前に決めてから入店するのに、みんなはふらっとコンビニに立ち寄って
僕は緊張して吐いてしまうことがあるから外でご飯なんて食べれないのに、みんなは通りかかって気になったってだけで初めて行くお店で昼食を取ったり
外に出て働きだしたらもうこんなくそみたいなことで悩まなくなるのかな